まるかいてさんかく

旅とカメラと妄想と

ぼんやり

ここ10年を振り返ってもデタラメな人生だったのに、この先の10年がなんの変化もなく平坦な道でしかないんだろうなぁと軽く絶望していたのはなぜなんでしょうか。
もう人生折り返しだしな、と思っても、学生を超えて自分で取捨選択できるようになってまだ20年も経ってないんだよ。どこがどう折り返しなんだ…。

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2011年1月22日撮影

10年前なにしてたっけ?と思って写真フォルダ探したら、東京に住んでてこれは原宿。もうこの駅舎はないのかな。奥に救急車も見えるし人混みといいカオスだな。

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それから数ヶ月後に東日本大震災に合い、それから数ヶ月して東南アジアをぶらぶらして帰国して就職してワーホリ行って帰国して就職して。そう考えると思った通りにいったことなんてないし、人生計画なんてあってないようなもの…。

先のことを見据えたり決めたりすることが本当に苦手で。なんというか、自分で決めたとしてもその軌道に沿わなければならないという縛り自体が絶望に感じてしまう。
就職のために面接した時も通勤のために車買った時も「ここに就職すると決めた」という謎の縛りに見えてなぜか泣いてしまった。車買ったことで自由度上がったんじゃない?というより物が増えたことにより、自分の制約縛りの方が大きかった。
かといってミニマリストというわけではない。好きなものには囲まれていたい。
それからしばらくして新しく熱狂できるものと出会い、そのために東京や大阪へ足繁く通ったおかげでなんとか行動欲が満たされ、自我が保たれてきた。

その職場もとうとう契約が厳しくなってきたので辞めることになったんだけど、みんなも給与下がりまくってるだろうに向こう岸から笑顔で手を振って見送ってくれて…いち抜けしてすまん…。しかしみんなよく耐える…すごい…ってなりました。わたしが普通じゃないのかな。みんな愛社精神が強い。
最後にわたしの傍若無人な仕事ぶりを褒めてくれて、そんなに仕事してたっけ?そんな褒めてくれる???ってほど褒めてくれて。この職場には必要とされていたのかもしれない、と嬉しくなってしまった…。既存のやり方を否定してゴリッゴリに削ぎ落としながら効率化だけを求めてやってきたので、合わない人はもちろん合わなかっただろうし、わたしは仕事がしたかったので自己主張強めの力づくでやったんですが。まぁこんな感じで周りは人が良いので、卑屈なわたしには(最後だからちゃんと相手を褒めて気持ちよく送り出すという行為を)理解ができなかったんだろうな。

今までは次にやりたいことができるといてもたってもいられず、とか、居心地が悪いのでほかに好きなことを見つける、とかそういうタイミングで移り変わってたので、今回は逆に焦りとも怠惰ともいえない感情に呑まれてます。

まぁ今年は「生きよう」ってみんなどっかで言ってるしな。生きよう。

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あ〜〜〜〜〜推しの中華料理屋に行きて〜〜〜〜〜(新大久保)